Posted on

applemint 佐藤のプロフィール

applemint 佐藤のプロフィール

こんにちは applemint 代表の佐藤です。

Applemint という小規模な会社において、代表者がどういう人かというのは非常に重要です。
そこで、今回は僕のプロフィールを紹介したいと思います。
幼少期から現在に至るまで、タイムライン形式でお伝えしたいと思います。

幼少期〜中学

4才ぐらいの僕

幼少期はアメリカのロサンゼルスと福岡県で育ちました。
幼少期のロサンゼルスの記憶はほとんどありません。
その後福岡の大濠公園の近くで育ち、小学3年生ぐらいからサッカーを始めました。
サッカーを始めたばかりの頃はいつも自分に自信がなく、何度も辞めようと思いましたが、親に思い留まるよう言われて続けていました。
自分に自信が持てなかったので、いつもベンチで、試合に出るといつもビビってました。

その後6年生の時に、大きな怪我をしてサッカーが出来なくなって治療に専念しました。
治療中、サッカーが好きということを再確認したのか、その時今までビビりながらやっていたサイドのポジションから、FW に転向したらサッカーが好きになって、自信が付き始めました。
要するに、もっと攻撃をしたかったってことですかね(笑)
サッカーが楽しくなると試合に出たくなり、そしたらどんどん自信がつき、自分のパフォーマンスも上がっていきました。
昔は交代の指示が来たら、「やったー。休める」なんて思ってましたが、その後出ることが当たり前になると、交代は非常にフラストレーションが溜まりました。
始めたばかりの時と比べると信じられないですね。(笑)

この時に辞めないことを学んだ気がします。

中学〜高校、再びアメリカへ

高校卒業時の僕

その後福岡で中学2年まで育ちました。
そして中学2年になったある日、突然アメリカに戻ると親から言われました。
理由は僕の母が、僕が福岡に居続けると腐ると思ったからだそうです(苦笑)

確かに中学1年になるとやんちゃなことを始めて、学校に何度も呼び出されました。
警察沙汰一歩手前になったこともありました。
先生にはある時平手打ちで14発叩かれました。(隣で見ていた友人が数えてました 笑)
この先生は今同じことをしたら、全国ネットでニュースになるでしょうね。

そんなやんちゃな僕が、アメリカに着くと英語が出来ず悔しい思いをしました。
着いて最初の半年は結構ストレスで、ほぼ毎日吐いてばかりいました。

幸い幼少期にアメリカにいたおかげか、英語の発音を覚えていてネイティブ並みの発音が出来たのですが、ボキャブラリーはゼロでした(苦笑)
僕はそれまで勉強なんてほとんどしてきませんでしたが、負けず嫌いだったのでそれからかなり勉強しました。
英語が第二言語の人向けのクラスでは秀才中国人と競い、結果は…..

見事完敗でした。(その後彼は MIT に行ったそうです 苦笑)

中学卒業後は家の近くの、現地の公立高校に行きました。
全校生徒はヒスパニック系が 66%、黒人 20%、その他の人種 14%、とマイノリティーが多く、お世辞にもいい高校ではありませんでした。
例えば僕が1年生の時 600人入学した生徒は、卒業時に 150人になっていました(苦笑)

ギャングはいましたし、ドラッグの売人もいました。
ある年の卒業式では卒業生同士が喧嘩を始めて、ヘリまで来ました(苦笑)

そんな中で僕は高校時代、日系のスーパーやファミレスでバイトして少し苦労人だったこともあり、同じく苦労人だったメキシカンの同級生と気が合い親友になりました。
いい思い出です。

身長187cm 87kg で明らかに高校生じゃないメキシカンの親友のマヌエルです。

サッカーも同時に続けていました。

僕のチームは南カリフォルニアで毎年ベスト16〜ベスト8 ぐらいのまーまー強いチームでした。
その中でも日本人の僕の技術は際立っていました。
でも不思議と試合になると、僕よりも技術で劣るアメリカ人やメキシコ人が結構本領を発揮するんですよね。
これは本当にメンタリティの問題だと思っています。

この経験から、技術よりもメンタルが大事なことを教わりましたし、技術がいくらあってもメンタルがひよっこだとダメなことも学びました。あと、自慢じゃないですがこの経験から日本人選手が海外に移籍すると、成功しない人はなんとなくわかります。

大学時代、東京初進出

大学卒業時

高校卒業後、母はビザが切れるため日本へ帰ることになっていました。
大学は日本とアメリカどちらにしようか考えましたが、母と一緒に日本へ帰ることにしました。

この頃にはロサンゼルスに少し飽きていて、刺激が欲しくて東京に行きたいと思っていました。
ロサンゼルスで飽きるなんて信じられない、と思うかもしれませんが、ロサンゼルスにいた時は、友達 = 家族の一員みたいな


あと、アメリカの大学に行っても周りに流されてパーティ三昧になりそうだったので、アメリカの大学はあまり興味がありませんでした。

大学はアメリカのような多様性があって、国際的な環境がいいと思い、『9月入学可能』『国際的な環境』『東京』という基準で国際基督教大学を受けました。
正直、それまで国際基督教大学なんて聞いたことありませんでしたし、そもそも名前が怪しいと思っていました(苦笑)

他にも2-3校受けるつもりでしたが、国際基督教大学の合否がどこよりも早くて第一希望だったので、国際基督教大学から合格の通知が来た後は、どこも受けませんでした。

今でこそ皇族が行って少し有名になりましたがその当時は地方に住む親戚も誰も知りませんでした….

大学時代

こうして東京の大学に入った僕は遊びまくって….ません(笑)大学時代は勉強と DJ を主にしていました。
Jeremy Rappleye という超エリートアメリカ人の教授の授業がすごく良くて、そこからあほみたいに本を読むようになりました。
結構本を読んでましたしほどほどに遊ぶ、至って普通の大学生だったと思います。

高校時代から要領良くほどほどに遊んでいたためか、大学で高校の鬱憤を晴らして遊びまくるみたいなことはしていません。
遊んだら親に申し訳ないって気持ちもありました。
あと、友人がめちゃくちゃ飲んで遊びまくる割に、めちゃくちゃ本を読んで尚且つ地頭が良かったので、そんな連中に刺激されて勉強は割と好きでやってました。

DJ は、高校時代に DJ Kentaro という DJ のプレーを見て、ターンテーブルを購入したことがきっかけで始めました。
大学時代は渋谷や六本木の小さなバーやクラブ、友人のパーティーで DJ をしていました。

大学時代に頭が柔らかくて刺激的な人ばかりに出会えたので国際基督教大学に行って本当に良かったと心から思っています。

台湾、そして社会人

暖房のない冬に極寒のカフェで猫と食事をとる僕 (2010年)

6月に卒業して、所謂新卒の4月入社の波から外れた僕は、卒業後一旦台湾へ行きました。

大学時代にすでに、今後東京には長くいないだろうな、と感じ始めていました。
アメリカから東京に初めて行った時、人々の電車のマナーの悪さにショックを受けましたし、東京じゃ働きにくいだろうな、なんて思ってました。
そこで、将来海外に出た時どうすれば仕事があるかなー、と思ったらアジア人だしアジアを理解している人間が戦力になるだろうと考え始めました。

アメリカにいた経験上、アメリカ人の多くは中国人、韓国人、日本人の違いを見分けられないので、それなら東アジアの 3つの国の文化や商習慣を理解している人は相当強い、と思いました。

そこでまずは言語コミュニケーションが大事と思った僕は、中国語か韓国語のいずれかの言語を始めることにしました。
韓国人の友人曰く、韓国語と日本語は似ていて簡単らしいので、まずは難しそうな中国語から始めることにしました。
中国へ行くことを考えましたが、ビザが厳しかったので断念しましたが、ちょうどその時、日本と台湾の間にワーホリ制度が出来たことを聞いたので、中国語が公用語の台湾へ行くことにしました。

その当時台湾へのワーホリは全国で限定100人と聞いて、すでに2ヶ月ぐらい出遅れていた僕は慌てて白金台の『台北駐日経済文化代表処』に行きました。その結果、僕は全国でまだ 5人目の応募者でした(苦笑)当時は今ほど台湾は人気じゃなかったということですね。

台湾に着きましたが中国語はほとんど出来ませんでした。
でも学校に行くお金がないので、農場で住み込みをして中国語を覚えました。
農場では、仕事が終わってから Youtube を見て、わからない単語をひたすら辞書で引きながら発音を真似ました。

そしたら 3ヶ月後ぐらいに聞き取りができるようになりました。
すごいと思うかもしれませんが、中国語が必須な環境だったので必死だったのだと思います。
この時に知り合った一部の農家とは今も連絡を取っていて、彼らと何かしたいなと考えています。
ちなみにこの時1ヶ月1万円ぐらいで8ヶ月間過ごしました。

住み込みした農家で初めてバナナの木を見ました

本当にお金がなくて農場のトレーラーハウスに住んでいました。夜はネズミの走る音で起こされ、天井には常に4匹ぐらいゴキブリがいる環境でハングリー精神を養いました(苦笑)

就職

帰国後某日系のメーカーに就職しました。
従業員数も多くて、東証一部ということもあって制度とかしっかりしてました。
しかもその当時には珍しい、超ホワイトな企業で部門の方々はみんないい人でした。
その中で1人空気が読めない僕は、ほぼ毎日5:30 に定時で帰っていました。
そこには定時で帰りたかった理由がありました。

どうしても折角覚えた中国語を忘れたくなかったのです。
なので、定時で帰ると毎日 3-4 時間ぐらいは、中国語の勉強をしていました。
土日も中国語の勉強をして、 HSK は中国語を学び始めて 1年ちょっとで一番上の 6級に合格しました。(自慢です 笑)

どうしても定時で帰って中国語を勉強する時間を確保したかったので、仕事は常に効率を考え一心不乱にしてました。
集中すると邪魔されたくなかったので、新人なのに代表電話もたまに無視していました。
今考えると最低な新人です…..

チームワークのかけらもなく applemint なら確実に採用したくないような人材です….
今の僕がその当時の僕を新人として迎え入れたら、相当怒りますね…

経営する立場になってわかりますが、最近亡くなった瀧本哲史さんがお話ししていたように、企業にいる限りは社内で評価されるプレーヤーになるべきという意見にはすごく同意です。
所詮雇われの身ですから。
それが嫌なら自分で事業を立ち上げるか、転職するべきです。

関連記事:急逝した瀧本哲史さんが遺した「2030年を生きる人たちへのメッセージ」

例えばある人が、前の仕事場で会社から評価されないから、よりいい給与だけ求めて他へ行ったとします。
今になってわかりますが、こういう人は転職をしても、暫くすると前職と同じことが起こると思うんですよね。
要するに、会社から評価されないと感じる、ということです。
この時の僕はこんなことがわかりませんでした。
労働とか給与に関しては、キングコングの西野亮廣がかなり説得力のあることを言っているので是非ご覧ください。

関連記事:労働量・クオリティは給料に響かない。キンコン西野が「ジュース」と「サンマ」で解説

日系メーカーの仕事はつまらなかったですが周りの人にはすごく恵まれました。
ホワイト企業でしたし、長く勤めることも可能でした。
しかし2年半ほどで辞め、台湾の大学院に行くことにしました。
理由は中途半端な中国語をマスターするのと、台湾で自由に動くことでした。

もともと十分なお金が溜まったら辞めるつもりでした。節約生活の甲斐もあって、予定より早く 2-3年で●百万円貯めました(結構貯めました)辞めることはわかっていたので同期とも1-2人しか話しませんでした。完全に孤立してました。同期からはなんかヤベー奴がいると思われていたみたいです(苦笑)

台湾の大学院

シンガポール国立大学の MBA で一緒だった翼君と

台湾の大学院ではビジネスを学びました。
MBA ってやつです。
あ、国立シンガポール大学も留学で行きました。
授業のレベルはどっちもどっちだと思います。
強いて言うなら、国立シンガポール大学の方がキャンパスが広くて、学生のレベルが高く、色んな人種の人が通っていて良かったなー、と思います。
ただし今も当時も別に MBA に興味はありません。(苦笑)
僕はただ台湾で割と自由に動きつつ、ビジネスの数字を学べたらいいな、と思っていました。

MBA で良かった点を一つだけ挙げるとしたら財務にものすごく興味を持ったことです。
ちなみに MBA が現在の起業に役立っているかというと、ほとんど役に立っていないと思います(苦笑)
詳しくは下のブログに書いています。

More to read
taiwan-college

【台湾で MBA を考えている人へ】政治大学の MBA に通って思ったこと

台湾で MBA を学ぼうと考えている方へ applemint の代表である私から国立政治大学の MBA に通っていた時の体験記を伝えたいと思います。

大学院の時期に、東京のクラブを中国語で紹介するサイトを立ち上げました。
東京にある色んなクラブを紹介してました。
まめに更新していたこともあり、その当時は中国語で『東京』『クラブ』とかって検索すれば、僕のサイトが1ページ目に表示されていました。(2015-2016年閉鎖)

マネタイズは考えていませんでしたが、台湾の人から、東京のクラブを紹介して欲しいという連絡がよく来ていました。
連絡が来ることがすごく嬉しくて、どうやったらもっと連絡が来るかなーと思って Google analytics や SEO を自分で結構勉強しました。
この時にデジタルなことに興味を持ち、Google analytics のビデオを見て日々試行錯誤していました。

東京に戻って転職してからも土日や平日の終業後にサイトをいじっていました。

転職

写真は全く関係ない Moodymann との写真です。

大学院卒業後、友人の紹介で日本に支社があるデジタルマーケティングやダイレクトマーケティングに強い外資系の広告代理店に転職しました。
マイクロソフトの担当で、超エリートの担当者相手に日々悪戦苦闘していました。
週 3-4 でクライアントと定例があったのですが、定例の日は毎朝吐きそうになりながら出勤してました。
というかたまに吐いていました(苦笑)
この時精神的に強くなったと思います。

社内では英語ばかり使っていました。(自分が英語でフラットにコミュニケーションを取りたかったためです)
会社に同じ大学の同じ学年の子が入って、2人で英語で会社の愚痴を言い合って、励ましあったりしてました。

外資系のせいかわかりませんが、周りは全て転職者で尚且つみんな2年ぐらいですぐに別の会社へ転職するような人ばかりでした。
僕の先輩や上司はその後 Facebook japan、Amazon、air bnb、とかすごい所に転職していました。

この会社では新人時代に学んだ仕事の効率化を更に強化し、結果へのプレッシャーを身をもって体験しました。
上司は効率の鬼で、彼女からはマルチタスクに関してかなり学びました。

あと先輩にデータアナリシストの人がいて、めちゃくちゃ優しくて優秀で、どんなに忙しくても僕の疑問に付き合ってくれました。
その人はあまりに仕事ができる人だったので仕事が集まりすぎて、連日深夜3時ぐらいまで仕事をしていました。
社内のコミュニケーションも抜群にうまくて、こういう人が昇進するんだなーと思いました。

別に外資が全ていいとは全く思いませんが、間違いなく外資の広告代理店にいた時の方が日系の会社にいた時よりも成長した気がします。

僕は明らかに日系より外資向きでした。

再び台湾へ

僕がいた広告代理店は割と自由で、正直仕事にもそんなに不満はありませんでした。
しかし契約更改時に、ありえない条件が提示されたため、とてもじゃないですが会社を信頼出来なくなりました。

次どうしようかなと考えていた時、なぜか知りませんが台湾で働いてみようかなと思いました。
その後人材派遣会社を通して、台湾にある某広告代理店へ転職することになりました。
ここでは色々いい経験をさせてもらいました。

僕が担当したクライアントはマイクロソフトの担当者と比べるとみんな天使みたいにいい人達でした(笑)
もちろんみんなそれぞれ数字へのプレッシャーはあるかと思いますが、威圧感はマイクロソフトの担当者の比ではなかったです。
また、台湾時代のクライアントの方々は厳しさの中にも優しさがあり、悪かったからすぐだめという訳ではないところがありがたかったです。
マイクロソフトを担当していた時は、1プロジェクトが 3-4ヶ月ほどで終わり、この3-4ヶ月で結果を出さなければいけず、しかもプロジェクトが終われば担当者とはほぼ再会しないため、担当者には中長期的な目線で見る温かみはあまりありませんでした。

台湾時代はおかげで、クライアントの業績を我が身で捉えることができて、良かったです。
しかしこの会社では、自分が協調性に欠ける行いをしたこともあり、居場所がなくなり割と早く退職することになりました。

小学生の時に辞めないことを学んだとか言って辞めまくっているという矛盾…(苦笑)

起業、そして現在

辞める時正直次のあてなんて何もありませんでした。
僕は今後もいい給与を求めて転職ばかり繰り返すのかなー、いつまでも人が叶えたい目標の手助けをしていくのかなー、と思った時そんな自分がすごく嫌になりました。

なのでこの退職をきっかけに起業しようと思いました。
起業前に思ったことは以下のブログに書いています。

More to read
台湾起業を振り返って

【激動の台湾起業1年目を振り返って】台湾スタートアップ実録

台湾スタートアップ実録!台湾で起業を考えている人に是非見てもらいたい起業1年を記録したブログです。ビザ更新のため 1年目の売り上げが 300万元必要という情報や、ビジネスの良し悪しが不安でなかなか一歩を踏み出せないという方はこのブログを見て私が1年目に体験したことを参考にしてもらえればと思います。
More to read
台湾高雄

【激動の台湾起業2年目を振り返って】台湾スタートアップ実録

applemint が台湾で起業して2年目をどのように歩んだかを書いています。

色々考えた結果、起業のビジネスは「何がしたいか」ではなく、「何ができるか」そして「それがどう役に立つか」をベースにしました。
そこで、とりあえず自分が出来る/得意なデジタル・マーケティングから始めることにしました。
今もその当時も日系企業の台湾デジタル・マーケティングへのニーズは顕著だったので、競合はもちろんいましたが、ターゲティングを明確にし、ここまでなんとかやりくりしながら applemint は今年の 9月から 3年目です。

僕は相変わらず短期で生意気で、嫌なことは割とすぐに口に出してしまうので、一部からは結構嫌われていると思います。(苦笑)
実際クライアントの数社は去ってしまいました。
そんなこともあり、年商だって決していい訳ではないです。
しかしそんな僕を信頼してくれるクライアントはいます。
僕はそんな既存クライアントのために、今後も誠心誠意対応していきたいとは本当に思います。

当面の課題はもう少し大人になることと、再現性が低いと思っている自分の起業体験をまた再現することです。
そのための仕組み化と NEXT ビジネスを今考えていて、実際に行動しています。
あ、あと起業して思ったのはやはり何がいいかなのかわからないので、本当に『行動』しかないですね…..

以上 applemint 代表佐藤のプロフィールでした。

NEW

NEW BLOGs

applemint の最新のブログをご紹介!

applemint に関する問い合わせはこちらから